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東京六大学野球@東京六大学野球応援席

東京六大学野球@東京六大学野球応援席
日本に野球を定着させるのに大いに貢献した東京六大学野球! 一時は全国的にファンを拡大したと聞く。そんな東京六大学野球を応援しよう!




東京六大学野球 早慶戦

50年ぶりに早慶で決勝戦!

東京六大学野球@東京六大学野球応援席の野球侍です。

本当に、本当に久しぶりの更新です。

われらの慶応義塾大学が早稲田大学を破り、優勝決定戦に進むことになりました。
慶大、早大による優勝決定戦は、なんと50年ぶりだそうです。

東京六大学野球、2010年秋季リーグ戦も最終対決の早慶戦まで優勝が持ち込まれました。
第1戦は、慶大竹内、早大斎藤の先発で行われ、慶大が斎藤を打ち込み2対0で勝ちました。

その第2戦が行われ、慶大は2年生の福谷、早大はドラフトで広島カープに行くことが決まった福井優の先発です。
試合は1回、2回でそれぞれ1点ずつを挙げて投手戦になるかと思われましたが、3回には山ア錬の3ラン本塁打、4回には福谷の2ラン本塁打と、早大の投手陣を打ち込んで、結局慶大が7対1で早大に勝ちました。

これで両校とも8勝4敗の同率となって、優勝は11月3日の優勝決定戦に持ち込まれました。

それにしても今季の慶大は早慶戦でがんばりましたね。
まさかストレートで2勝するとは思わなかった。
これで春秋、両リーグの優勝校となる可能性が出てきました。
こんなのいつ以来だろう。

11月3日の試合が楽しみですね。
試合の結果です。
11月1日(月)早大−慶大2回戦慶大2勝 勝点4
第1試合試合時間:2時間40分観衆 18,000人  

スコア
大学
早大
慶大X

慶大. 早大
○福谷 投手●福井優、大石
大野健、池下 
長崎捕手市丸
山ア錬1号3ラン(3回)
福谷1号2ラン(4回) 
本塁打 
 二塁打地引


では次回の試合の応援よろしくお願いします。


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東京六大学野球 早慶戦

斎藤君が名古屋に来ました

 東京六大学野球東京六大学野球応援席の野球侍です。

2007年8月23日にナゴヤドームで「第12回オール早慶戦」が開催されました。
このオール早慶戦というのは、現役の野球部にそれぞれの大学を卒業して社会人野球で活躍しているOBが3〜4人が加わってチームを編成するというものです。

当日は、4時30分に開場、試合は6時30分ということでした。
例年、4年に一度位の開催ですが、切符を売るのにみんな苦労していました。
とにかく、両校の関係者だけしか興味を持ちませんからね。
ところが今年は違いました。
売れ行き好調、みんな売るのに苦労はしなかったようです。

もしかしたらということで5時頃に行ったんですが、なんともう結構な人数が並んでいるんです。
慶応側がこれだから早稲田側はすごいだろうなと思いました。

関係者の話だと「オール早慶戦」始まって以来、最高の人数とのこと。後でしったら27,000人。
応援合戦のあと、セレモニーがあって、6時半過ぎに試合が始まりました。

    070823_1935~01.JPG

慶応は中林投手、早大は楠田投手。試合は両投手の好投で7回まで0対0。
8回の表、早稲田の攻撃が0点で終わり、8回裏の慶応の攻撃で本塁打を含めて4点を挙げました。
それまで斎藤投手の当番はなし。

周りは慶応の卒業生たちですが、こんな声が。
「このまま9回に早稲田が逆転しないと斎藤の出番はないなー」

結果はその通りになりました。
9回に早大が反撃したものの1点止まり。結果、4対1でオール慶応が勝ちました。

試合の途中で、バックスクリーンの大画面に、チェンジの時間に斎藤くんがちらっと映ると場内から歓声が上がり、キャッチボールをするだけで歓声。
折角、大勢の人が期待して集まったのにとため息が聞こえました。

公式戦ではなくイベントだからサービスがあるのかと思いましたが、そうはいかなかったようです。
まあ当然ですね。芸能人ではないですからね。
抑え投手となれば登板したんでしょうね。
慶応側としたら応援に困ったでしょうが。

斎藤君ファンとしたら残念でしたでしょうが、とにかく、楽しめた夜でした。ジャンジャン。


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東京六大学野球 早慶戦

早慶戦、超満員!

東京六大学野球東京六大学野球応援席の野球侍です。

早慶戦、第1回戦すごい人気です。
前日というよりその前から、当日の入場券を購入するために並んだ学生の列、列、列です。
神宮球場は満員で、36,000人だそうですが、超満員になることは確実ですね。

慶大の学生券は5月23日に完売。早稲田も麻疹休講が終了して発売され1日で完売。

 「はしかも吹っ飛んだ!ハンカチ王子登板、早慶戦チケット1時間で完売

外野席も完売になるでしょう。

 「ハンカチ王子早慶戦に異例の当日券求め長い列」

さあ、どっちが勝利するか。注目です。

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東京六大学野球 早慶戦

ラグビー早慶戦!

東京六大学野球を応援しよう!の野球侍です。

今回は、ラグビー早慶戦です。

野球シーズンも終わり、冬のスポーツ、真っ盛りです。

ラグビー早慶戦の結果、42対16で早稲田大学が勝ちました。

これで12月3日の早大対明大戦で優勝が決まります。

早稲田は強い。


ニュースはこちらです。

      早大が開幕6連勝 関東大学ラグビー対抗戦



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東京六大学野球 早慶戦

斎藤君、早慶戦観戦!



東京六大学野球を応援しよう!の野球侍です。


あの斎藤君が変装して早慶戦に行ったらしい。

   “ちょいワル王子”?斎藤くん変装バレちゃった

早実の斎藤君は、学内試験も終わり、早稲田大学の合格通知を待つ
だけらしい。
早慶戦の観戦に行きばれて避難したらしいが、人気者も大変だ。

でも試合は、早実の先輩、吉川選手がヒットで出て、同じ早実出身
の4年生佐伯選手のホームランでサヨナラという斎藤君にとっては、
満足のいくものだったろう。

来年の春には、マウンドに立っているんだろうか。少なくともその
意気でがんばってほしい。

そうすれば、神宮も満員になることだろう。
(早稲田大学の試合だけでは困るけど)

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東京六大学野球 早慶戦

戦後初の早慶戦


東京六大学野球を応援しよう!の野球侍です。


昭和20年8月15日、戦争は終わった。


学徒出陣で戦地や軍務に服していた学生もキャンパスに戻ってきた。

一般の学生は食料も無くカリキュラムもない大学をうろうろする

ばかりで、夢も希望も持ち合わせてはいなかった。

こんな大学の現状を見かねて立ち上がったのは、元応援団・部員たちで

あった。


なにかきっかけをということで、慶応義塾大学の応援団が早稲田に

働きかけ、昭和20年(1945年)10月28日、神宮球場で

「オール早慶戦」の名のもとに開催された。

終戦後、たった2ヶ月半の後のことであった。


最近でこそ、「応援団部員はごついのが多い」なんてことを、

聞かなくなって久しいが、戦後間もないころには、世間には

何々組、何々一家などの暴力団組織があり、それらが幅を利かせて

いたので、そういう者たちから学生を守ることも応援団の役目だった

らしい。


したがって、リーダーも、空手部、ボクシング部、相撲部、柔道部、

剣道部などの猛者が参加したようで、これはどの大学も似たような

猛者がいたのは、そういう世相を反映したものであったようだ。


そんな中、昭和21年の春から、東京六大学野球は、戦後の大会を

スタートさせた。

東京六大学野球 早慶戦

戦前最後の早慶戦は「英霊たちの応援歌」として映画になった


東京六大学野球を応援しよう!の野球侍です。


戦前、戦争が始まるまでの早慶戦は、世間から圧倒的な注目をあび、

人気があった。


早慶戦は、世界三大大学スポーツの一つであり、ほかは

イギリスのケンブリッジ大学対オックスフォード大学のボートレース、

アメリカのハーバード大学対エール大学のフットボール、である。


その戦前、最後の早慶戦は、1943年(昭和18年)10月16日、

非公式戦という形で、早稲田大学戸塚球場(後の安部球場、現在は

総合学術情報センター)で行われた。


そのころ、野球は「外来スポーツ」ということで白い目で見られ、

1942年(昭和17年)の秋季リーグで文部省によってやめさせられて

いた。


スタンドは両校の学生で満員、外野も立ったままの学生の応援で満員、
総数6,000人であった。

紺碧の空の下、正午に試合が開始された。

試合は、一方的な展開で、10対1で早稲田が勝った。
しかし、両校の応援団も選手も試合の内容については、二の次だった。
とにかく早慶戦が出来たことが喜びだった。


試合終了後、早稲田大学の応援団は慶應の「若き血」を、慶應義塾大学
の応援団は「都の西北」を肩を組み涙を流しながらに歌った。


「若き血」は作詞・作曲、堀内敬三、慶応の応援歌であり、
「都の西北」は相馬御風作詞、東儀鉄笛作曲の正式には
「早稲田大学校歌」である。


その後どこからとも無く聞こえてきた「海ゆかば」の大合唱が戸塚球場、
全体を包んだ。


学徒出陣の5日前であった。

この最後の早慶戦は、後に映画になった。

   

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東京六大学野球 早慶戦

東京六大学野球ルーツは早慶戦だった!


東京六大学野球を応援しよう!の野球侍です。


日本の野球は、プロ野球、各地の大学野球、高校野球、社会野球と

盛んです。


今も、夏の高校野球は熱戦を繰り広げています。

暑さに負けず、都道府県の代表として懸命にがんばっているのを見るのは

こちらも熱が入っていいものですね。

ちょうど倉吉北と松代が対戦し、7対6で松代が10回に逆転サヨナラで

勝ったところです。


明治のはじめに日本に紹介されたベースボールは、1880年代には、

東京大学の前身である一高や慶応では野球クラブらしいものができて

いたようです。

特に一高は研究を重ね一時代があったようです。


東京六大学野球のルーツになったのが、明治36年(1903年)

綱町蜂須賀侯爵邸内運動場で行われた早稲田大学と慶応義塾大学、

2校によって争われた第1回早慶戦で、慶応が勝利したようです。

その後、早慶戦は人気になり、評判になっていました。


ところが、明治39年(1906年)に戸塚球場で行われた早慶戦で、
でした。
その第1回早慶戦は、初戦は慶応、2戦は早稲田が勝利しましたが、

第3戦の前に応援団の敵対する険悪な雰囲気になり中止になりました。



以後、19年間も試合は行われず、2校の交流も絶たれました。

しかし、大正14年(1925年)の春までに、その早慶に明治大学が

加わり、法政、立教が、そして東京帝国大学(現東京大学)も参加を

認められ、この年の秋に東京六大学野球リーグ戦がスタートしました。

同時に早慶戦も復活しました。
 

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