国内No.1の宿泊予約サイト「楽天トラベル」
2ヶ月後には5万円を稼ぐ!アフィリエイトノウハウ完全版!

東京六大学野球@東京六大学野球応援席

東京六大学野球@東京六大学野球応援席
日本に野球を定着させるのに大いに貢献した東京六大学野球! 一時は全国的にファンを拡大したと聞く。そんな東京六大学野球を応援しよう!




東京六大学 チアリーダー部

法大チアリーダーズも活躍!

アメリカンフットボールの東西学生王座決定戦「甲子園ボウル」で

法政大学が45対43で関西学院を下し、連覇を達成した。


東京六大学野球東京六大学野球応援席の野球侍です。


アメリカン・フットボールのニュースです。

 法大、関学を下し初の連覇…甲子園ボウル 


法大は5度目の優勝です。チア・リーダーズも応援のしがいがあった

でしょうね。

法大のチア・リーダーズGenies」といえば、12月9日、10日に

第18回全日本学生チアリーディング選手権大会でもがんばりました。

入賞はしませんでしたが、その活躍はこちらを見てください。

彼女たちもがんばっています。


  こちらもお願いします

同じジャンルをお探しなら人気blogランキングへ


トップページに戻る

東京六大学 チアリーダー部

全日本学生チアリーディング選手権大会

第18回 全日本学生チアリーディング選手権大会が行われました。


東京六大学野球東京六大学野球応援席の野球侍です。

12月9日(土)〜10日(日)に国立代々木競技場 第1体育館で

第18回 全日本学生チアリーディング選手権大会が行われました。


その結果です。

Division-1

優勝  日本文理大学 大分県

準優勝 日本体育大学 東京都

第3位 東海大学 神奈川県

第4位 西外国語大学同短期大学部 中宮学舎 大阪府

第5位 梅花女子大学 大阪府

第5位 南山大学(チアリーダーズ) 愛知県

第7位 日本女子体育大学 東京都

第8位 立命館大学 京都府

第9位 桜美林大学 東京都

第10位 青山学院大学 東京都


Division2

優勝 梅花女子大学・A 大阪府

準優勝 日本体育大学・A 東京都

第3位 桜美林大学 東京都


残念ながら東京六大学からはトップテンには入れませんでした。

また次回を期待しましょう。


チア・リーディングの規則はいろいろありますが、そのうちの

2点を紹介します。

まず、競技の服装です。

次に競技用手具についてです。

  こちらもお願いします

同じジャンルをお探しなら人気blogランキングへ


トップページに戻る

東京六大学 チアリーダー部

チア・リーディング選手権大会!



東京六大学野球東京六大学野球応援席の野球侍です>。


チア・リーディング選手権大会があるって知ってました?


第18回 全日本学生チアリーディング選手権大会

2006年12月09日(土)〜10日(日)

社団法人日本チアリーディング協会

 (詳しくはコチラです)
場所:国立代々木競技場 第1体育館


昨年の第17回大会は、2005年12月24、25日に行われています。
上位3チームは以下の通りでした。
優勝 日本文理大学 大分県
準優勝梅花女子大学大阪府
第3位桜美林大学同短期大学東京都
東京六大学の中では立教大学(チアリーディングクラブ)が最高で

9位でした。

今年は東京六大学の出場校の全チームにがんばってもらいましょう。

あなたの応援を待ってます。よろしく、です。


  こちらもお願いします

同じジャンルをお探しなら人気blogランキングへ


トップページに戻る

東京六大学 チアリーダー部

東京大学運動会応援部チアリーダーズは、KRANZ!



東京六大学野球を応援しよう!の野球侍です。




東京六大学応援団バトン部の夜明け前であった昭和50年頃、バトンが

なかったのは、東大と早大だけで、他校との試合では、早稲田は学内の

同好会、東大は目白女子短大のバトン部に頼んでいた。

ブラスバンドさえ女子はおらず、東大応援部は完全な男の集団だった。



そんな昭和51年春、予備校生当時から東大野球部のファンであった

松島みどりさん(1980年卒)が入部し、バトン部創設を熱烈に希望した。

しかし、本人はバトンの経験はぜんぜんなかった。



だが、その熱意は見事で、女子新入生176人全てにはがきを出す

など新入生勧誘に乗り出したが、ちょうどその頃「花の応援団」の

ブームが真っ盛りで苦戦は続いた。



そして、幸い一名の入部が決まり、五月にバトンは二人でスタート

した。


指導に当たったのは、法政大学のチア・リーダーで紹介した法政の

浅井直湖さんであった。



神宮球場へのデビューは昭和51年(1976年)秋、曲は「荒野の七人」。

ただ、試合が月曜日まで延びると、他の一人が授業に出てしまうので、

松島さんは一人では応援できず、ただ座って応援していたそうである。



その年の11月20日に第1回目の「淡青祭」が開催され、バトンも

出場し大成功であった。



その後、54年にはバトンも7人に増え、松島さんは女子として初めての

幹部(バトン責任者)となった。


平成6年、それまでの「バトントワラーズ」から「チアリーダーズ」

へと改名し、さらに、平成8年には「KRANZ」と名づけられ、

活躍している。


そんな活躍はこちらから。→「KRANZ



  こちらもお願いします
同じジャンルをお探しなら人気blogランキングへ


トップページに戻る

東京六大学 チアリーダー部

慶應義塾大学應援指導部チアリーディング部は、MAJORETTES!

東京六大学野球を応援しよう!の野球侍です。


昭和35年に初めて女子高生のバトンを使ったが、正式に応援指導部の

一員として認知されたのは、昭和42年であった。このときの指導部は

他校の臨時バトンに誘発されてバトン・ガールを募集し、求めに応じた

またしても女子高生をインスタント特訓し応援台で応援させた。

おかげで、このシーズンは、天皇杯を勝ち取った。


その後また途絶えてしまったが、昭和48年(1973年)の秋から

慶應女子高のバトン部が早慶戦に参加、その女子高校のバトン部出身の

白木原さん、村山さん(1979年卒)らが大学に進み、ようやく高校生で

なく、学生によるバトン部が誕生し、正式に応援指導部のバトン部門と

発足したのは昭和53年(1978年)であった。



野球の応援だけでなく、他のスポーツにもバトンが登場するようになり、

アメフトでは、初めてチア・リーダーとしての応援も取り入れた。


それぞれのスポーツにマッチした応援をする慶應義塾大学のバトン部は

チアリーダー人気コンテストでも優勝し、東京六大学一とまで言われた。



現在の名称は、慶應義塾大学應援指導部チアリーディング部で

その名もMAJORETTESである。その活躍はコチラからです。



  こちらもお願いします
同じジャンルをお探しなら人気blogランキングへ


トップページに戻る

東京六大学 チアリーダー部

法政大学応援団チアリーディング部の名称は、Genies!



東京六大学野球を応援しよう!の野球侍です。



昭和49年(1974年)法政大学にもバトン部が誕生した。

正式に応援団総会で認められたのは、1年後の昭和50年であった。

メンバーは6人であった。


指導は、すでに実績のあった明治のバトン部が力をかしたと

いうことである。


この6人の中の創立メンバーの一人、浅井直湖さん(53年卒)は、

バトンの研究のために渡米し、バトンとチアの違いを含め、

チア・リーダーの技術を習得した。



すぐさまチア・リーダーのチームを作り活躍、卒業後はプロ野球、各種

スポーツへのチア・リーダーの普及の大きく貢献した。



昨年は、応援団初の女性副団長として、チア・リーディング部の

田中 千春さんが活躍している。その記事はこちらです。




現在の法政大学応援団チアリーディング部はGeniesの名で活躍している。



  こちらもお願いします
同じジャンルをお探しなら人気blogランキングへ


トップページに戻る


東京六大学 チアリーダー部

立教大学体育会応援団チアリーディング部の名称は、St.paul's cheerleaders!

東京六大学野球を応援しよう!の野球侍です。


立教大学も昭和43年(1968年)に、神宮球場にバトンを登場させた。

ただ、正式ではなく、立教女学院のバトンを頼み込んでの出場だった。



そして昭和49年の大学創立100年を迎え、応援団として記念に

バトン作成委員会が作られた。直ちに部員の勧誘を始めた。

4人の入部があったが、3人やめてしまい、残った小池信江さんが

後に入部した2人と一緒に、立教大学体育会応援団チアリーディング部の

基礎を作った。


そして昭和50年(1975年)、OB会から怒られる事件があった。

それは、当時長島監督率いるジャイアンツを、バトンを含んで4〜50

人、後楽園球場のダッグアウトの上に団旗を立てて応援した事件である。


いくら監督が先輩でも、プロ野球を、神宮球場以外の球場で応援したと

いうことで、起こられるのは当然であった。



立教大学体育会応援団チアリーディング部は、St.paul's cheerleaders

の名の下、活躍している。



[2006年秋季リーグ戦]

   10/7 (土) 第一試合  早大 - 立大  

        第二試合  東大 - 明大
 
     8 (日) 第一試合   明大 - 東大  

        第二試合   立大 - 早大

明日の天気は良いはずです。応援、よろしくお願いします。



  こちらもお願いします
同じジャンルをお探しなら人気blogランキングへ


トップページに戻る

東京六大学 チアリーダー部

早稲田大学応援部チア・リーダーズは、Big Bears!

東京六大学野球を応援しよう!の野球侍です。


早大では、昭和39年(1964年)の早慶戦に出場したバトントワラーの

将来性を考えて、昭和42年にバトントワラーの研究会が出来た。


しかし、応援部とは関係なく、同好会的なものであったが、昭和45年

にも同様な研究会が出来ていた。しかし、なかなか実践できなかった。

しかし、一過性で消滅するものでなく、正式に応援部に組み入れられる

まで続いた。


そして、昭和52年(1977年)、早稲田大学応援部バトントワラーズ

正式に発足。春季早慶戦でデビューした。



その後、昭和63年(1989年)、バトントワラーズからチアリーダーズ

へ名称変更。

バトン発表会から替わったバトンオンステージも、チアリーディング

ステージへと変わった。


早稲田大学応援部チアリーダーズ、”Big Bears”の
活躍をご覧ください。


  こちらもお願いします
同じジャンルをお探しなら人気blogランキングへ


トップページに戻る

東京六大学 チアリーダー部

明治大学のチア・リーダーズは、Jesters!


東京六大学野球を応援しよう!の野球侍です。



明治大学のバトンは、昭和38年(1963年)のさんざんだったデビュー

以後、球場では使われなかったが、翌年の和泉祭、駿台祭では

オープニングの役目をきっちりはたし、全学生から盛大な拍手で

迎えられた。


以後、昭和40年代に各校ともバトン部の設立の動きが起こったが、

明治大学のバトンは、先駆者として法政大学のバトン部誕生にも

力を貸している。


昭和51年(1976年)、バトントワラー部はチア的なものを取り入れ

もっと活動範囲を広げようと、シルクボール(アメリカン・フット

ボール)にチア・リーダーとして初参加した。


明治大学のバトン・チアリーディング部の活躍は、明治大学の応援団

HPで見ることができる。


  こちらもお願いします
同じジャンルをお探しなら人気blogランキングへ


トップページに戻る

東京六大学 チアリーダー部

チアリーダーのルーツは女子高生だった!

東京六大学野球を応援しよう!の野球侍です。


東京六大学の中で、最初にバトントワラーを採用したのは、

明治大学でしたが、神宮球場で東京六大学野球でバトンガールが、

初めて登場したのは早慶戦でした。


昭和35年(1960年)、明治大学のバトンより3年前、慶大が初めて

バトンガールをメイン台に乗せました。


慶應女子高にバトンのうまい生徒がいるということで、依頼し、

本人にも家族にも了承を得て、準備が始まりました。


一部には反対もあったようですが、なんとか了解を得、秘密練習を

重ねて試合当日ぶっつけ本番で発表されたのです。


神宮球場が一瞬静まり返ったのは、三色のセーターを着た

バトンガール、高山藍子さんが登場したときでした。



軽快な「若き血」が神宮の森に鳴り響き、早稲田側を羨ませたという。

翌日の新聞では、写真入りで大々的に紹介された。

まだ、まだ、チアガールの出番まで時間がかかった。

  こちらもお願いします
人気blogランキングへ


トップページに戻る

東京六大学 チアリーダー部

チアリーダーの元祖は明治大学だった!


東京六大学野球を応援しよう!の野球侍です。

チアリーダーの元祖とも言うべき、バトントワラーを

東京六大学で始めて採用したのは、昭和38年(1963年)春、

明治大学だった。


対戦相手は早稲田で、明大は、早稲田と他の4校に承諾を得て、

初めて女性を台の上に乗せることにした。


ところが始まってすぐに、当時の野球部の島岡監督が「短いスカートで、

明治の女の子がなんだ!」という鶴の一言で、バトントラワーは

出場停止になった。


今は応援の一方の花形であるチアリーダーも、

元祖は大変だった訳です。

チアリーダーが六大学で認められるまで、かなりの

年月が必要でした。

  ほかの野球のビログをお探しなら
人気blogランキングへ



 

×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。