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東京六大学野球@東京六大学野球応援席

東京六大学野球@東京六大学野球応援席
日本に野球を定着させるのに大いに貢献した東京六大学野球! 一時は全国的にファンを拡大したと聞く。そんな東京六大学野球を応援しよう!




早稲田大学の校歌・応援歌

『早稲田の栄光』は早大の学生歌!

『早稲田の栄光』は、早稲田大学創立七十周年記念歌です。

東京六大学野球東京六大学野球応援席の野球侍です。

昭和27年(1952年)に早稲田大学は創立七十周年を迎え、その
記念として作られたのがこの「早稲田の栄光」です。

「すべての早稲田人の心の琴線に触れる名曲。この歌を歌うとき、
 人は感激にわれ知らず頬を濡らす」とまで言われています。

発表は、”稲穂祭”と称した記念祭のなかで行われました。
慶應の「丘の上」と同様、早慶戦に勝ったときにだけ肩を組んで
歌われていました。

ただ最近では卒業式でも歌われているようです。

作詞は「ひかる青雲」「精悍若き」の岩崎巌氏(早大OB)です。
補作詞は西条八十、作曲は芥川也寸志です。

それでは、肩を組んで早稲田人となって歌ってみましょう。

   「早稲田の栄光」

     岩崎 巌 作 詞
     西条八十 補作詞
     芥川也寸志 作曲

     「1.栄光はみどりの風に〜」と歌います。
        
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早稲田大学の校歌・応援歌

早稲田大学応援歌4−「精悍若き」

東京六大学野球を応援しよう!の野球侍です。


昭和25年の春、応援歌募集が計画されたが、西条八十教授の進言で

昭和22年の応援歌募集の際に、当時学生で当選詩「ひかる青雲」を

作詞した岩崎巌氏に依頼することになり公募は中止となった。

作曲は国立音大の野村茂教授でした。


昭和25年に出来ましたが、「輝く早稲田」の発表と一緒になったので

そのままになり、翌年昭和26年、春のリーグ戦にそなえて大隈講堂で

行われていた応援歌練習会”講堂練習”で発表を兼ねて練習し、6月の

早慶戦で披露となりました。

応援歌募集を企画し「精悍若き」を計画したのは応援部、「輝く早稲田

」は早大グリークラブでした。

さぁ、歌ってください。「精悍若き」!

  
   「精悍若き」

      岩崎 巌 作詞

      野村 茂 作曲

     「一.精悍若き眉上げて 〜」から始まります。


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早稲田大学の校歌・応援歌

早慶戦は応援歌の中まで!「ひかる青雲」

東京六大学野球を応援しよう!の野球侍です。


今日(10月21日 土) の試合

       第一試合 明大 - 法大  11:00 

       第二試合 東大 - 立大  13:30


応援よろしくお願いします。




東京六大学野球2006年秋季リーグ戦を制した早稲田大学の応援歌

第3弾「ひかる青雲」です。



この応援歌は、早稲田大学にとって戦後の第1号で、1947年(昭和

22年)作詞の募集で当選したもので、作詞者は政治経済学部二年、

岩崎巌氏でした。



作曲は、『紺碧の空』の古関裕而氏でした。



この歌は、前年に慶應義塾大学が発表した早慶戦専用の応援歌

「我ぞ覇者」をかなり意識して作られたもので、早稲田は「慶應倒し」、

慶應は「よくぞ来たれり 好適早稲田」と歌い合っています。



しかし、両校ともライバル校と言え、戦前のような敵対はなく、両校

学生ともお互いに友情が芽生えていくのは、こういった歌詞のやりとり

からも育まれていったのだと思います。




なお、慶應の「我ぞ覇者」の作曲も古関裕而氏でした。




では歌いましょう! 優勝を祝してー! 「ひかる青雲」!



  「ひかる青雲」


       作詞・岩崎 巌

       作曲・古関裕而

    「一、ひかる青雲 風さえ香る〜」と歌いだします



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早稲田大学の校歌・応援歌

早稲田大学の応援歌、仰げよ荘厳!

東京六大学野球を応援しよう!の野球侍です。



早稲田大学の応援歌『仰げよ荘厳』の紹介です。

 作詞は作家の長田幹彦氏。明治45年、英文科卒。

  「島の娘」(はぁ〜しま〜〜でそだてばー、むすめ じゅうろくー)

  「祇園小唄」(つきはおぼろにはがーしや〜ま〜あ)

  の作詞で有名。

 
 作曲は、杉山長谷夫氏。

  「出船」(こよいーでふねかー おなごりおしや〜)

  「花嫁人形」(きんらんどんすの〜帯締めながら〜)

  の作曲で有名。


この歌は、箱根駅伝の応援しか歌わないという時期もあったらしい。

でも今は他でも歌われているらしい。


 『仰げよ荘厳』
 
    「仰げよ荘厳 我等の学府」と歌っています。

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早稲田大学の校歌・応援歌

早稲田大学校歌その2

東京六大学野球を応援しよう!の野球侍です。


早稲田大学の校歌については、「都の西北」で述べたが、まだ不足の部分があったので、特に
誕生についてのエピソードなどを記します。

「都の西北」と通称的に呼ぶこの校歌は確かに名曲です。

明治40年、早稲田は創立25周年を記念して校歌を制定すべく
全校学生に呼びかけて歌詞の募集をしたが結局いい作品がなかった。


そこで、当時の審査員の坪内逍遥教授、島村抱月教授は、2年前に
卒業した青年歌人の相馬御風に熱心に依頼し、完成させた。
出来上がった作品は非の打ち所の無いものであったという。

以後、「都の西北」は早稲田人の心や身体の一部になっていると
思われる。

昭和37年2月に、故ロバート・ケネディが大隈講堂で「アメリカ
帝国主義」を攻撃する学生の質問に立ち往生したとき、それを救った
のは「都の西北」であった。(出展:「陸の王者 慶應」池井優著より)


作曲者の東儀鉄笛先生は、欧米の大学校歌にも精通していたらしく、
詞を生かした曲を付け、さらに生彩を加えたのである。

さあ、もう一度歌ってみよう!


             

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早稲田大学の校歌・応援歌

「紺碧の空」こそ最強の応援歌である!

東京六大学野球を応援しよう!の野球侍です。



早稲田大学の応援歌と言えば、すぐに思い出すのが「紺碧の空」である。


昭和初期の早慶戦は、昔の漫才コンビ、エンタツ・アチャコの「早慶戦」

というネタで残っているほど、全国的に有名であった。


当時は、選手にも伊達、水原、三原、小川等、後にプロ野球で益々有名に

なり、野球殿堂入りの名選手が活躍していた。

また、早大の「都の西北」慶大の「若き血」等応援歌の応酬も全国

ファンの血を湧かせていたが、早稲田の負けが多く、「若き血」の力強い

リズムにどうしても遅れをとっていた。


その沈滞ムードを打破するために、新しい応援歌作成の機運が高まり、

学生から歌詞を募集することになった。


この間の経過については、「紺碧の空」についてが詳しい。


この名作の生誕を記念して、大隈会館の一角に記念碑が建立されたのは

昭和51年(1976年)10月29日であった。

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早稲田大学の校歌・応援歌

「都の西北」は「早稲田大学校歌」の出だしです!

東京六大学野球を応援しよう!の野球侍です。

早稲田大学」の校歌は「早稲田大学校歌」です。

作られたのは、明治40年でした。

 作詞 相馬 御風(そうま ぎょふう)
 
 作曲 東儀 鉄笛(とうぎ てってき)


日本三大校歌の一つと言われるが、定かではない。

他の二つが分からない。

でもいい曲です。

1番だけでも歌いましょう。



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