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東京六大学野球@東京六大学野球応援席

東京六大学野球@東京六大学野球応援席
日本に野球を定着させるのに大いに貢献した東京六大学野球! 一時は全国的にファンを拡大したと聞く。そんな東京六大学野球を応援しよう!




立教大学の校歌と応援歌

立教大学応援歌「勝ちて歌わん」!

応援歌「勝ちて歌わん」は、立教大学の第5応援歌です。


東京六大学野球@東京六大学野球応援席の野球侍です。

 
 立教大学が創立75年を記念したのは、昭和24年(1949年)でした。
これを記念して応援歌が2曲作られました。
 
1曲はこの「勝ちて歌わん」でもう1曲は、前に紹介した「若き眉」でした。
 
作詞は歌謡曲でも有名な作詞家、佐伯孝夫でした。
佐伯孝夫は早稲田大学の卒業で作品には次のようなものがあります。

   銀座カンカン娘(作曲:服部良一、歌:高峰秀子、1949年)
   野球小僧(作曲:佐々木俊一、歌:灰田勝彦、1951年)
   有楽町で逢いましょう(作曲:吉田正、歌:フランク永井、1957年)
   東京ナイトクラブ(作曲:吉田正、歌:フランク永井・松尾和子、1959年)
   潮来笠(作曲:吉田正、歌:橋幸夫、1960年)
   いつでも夢を(作曲:吉田正、歌:橋幸夫・吉永小百合、1962年)
   恋のメキシカン・ロック(作曲:吉田正、歌:橋幸夫、1967年)

     などなど、ヒット曲多数です。
 
作曲はハワイ生まれで慶應義塾大学出身の灰田有紀彦でした。
・の略歴がありました。
         1909年4月24日ホノルル生まれ。
         1928年にハワイアンバンドのモアナ・グリー・クラブを結成、

         戦後の1945年に弟の灰田勝彦とニュー・モアナを結成、
         日本でトップ・グループのひとつとなった。ハワイ音楽一筋に
         生き、「森の小径」「鈴懸の径」・のヒット曲を作曲。ウクレレ
         奏者としても・られ、日本ウクレレ協会(NUA)を1959年6
         月に創設、初代会長を務めた。ウクレレ・ソロにも着目し、そ
         の第一人者であったエディー・カマエと・の弟子であったハ
         ーブ・オオタ両氏を日本に紹介する・、日本におけるウクレ
         レの地位向上に多大な功績を残した。 1986年・10月16日

        に逝去。
弟の灰田勝彦は戦後に活躍した歌手です。野球好きで、この応援歌のコンビで作った「野球小僧」もヒットしました。

 
では立教大学応援歌「勝ちて歌わん」です。
明るい曲です。こちらにあわせて歌ってください。
 
第五応援歌「勝ちて歌わん」
      佐伯 孝夫 作詞
      灰田由紀夫 作曲
 

   「1 緑に輝く・地 立教溢るる若さよ〜」 と歌います。
  
  こちらもお卒いします
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立教大学の校歌と応援歌

立教大学応援歌4−「栄光立教」

東京六大学野球を応援しよう!の野球侍です。

立教大学の第4応援歌「栄光立教」です。

昭和16年(1941年)太平洋戦争が勃発すると各大学の応援団、応援部は

大変でした。

昭和17年には体育会が解散させられて学徒練成部なるものができたよう

です。

特に立教大学は、キリスト教系の大学だったために軍部からにらまれ、

応援歌の「St.PAUL'S WILL SHINE TONIGHT」はもちろん禁止されました。

それどころか校歌の「自由」という言葉にも文句をつけられ、まるで

いちゃもんばかりつけるのが軍部だったようで校歌すら歌えない状況に

なったそうです。


昭和16年(1941年)歌えなくなった応援歌の代わりの新しい応援歌が

必要になったのです。そこで当時の団長だった草壁さんが作詞をし、新

進作曲家の土橋啓二氏に作曲を依頼し、出来上がったのが「栄光立教」

でした。

さぁ、歌ってください。 

   「栄光立教」です!



  「栄光立教」

      草壁 哲雄 作詞

      土橋 啓二 作曲


     栄えあれ若人 さんたり栄冠

     立教 立教 栄光立教

   「1 ああ 黎明の武蔵野は〜」と歌います。

 

  

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立教大学の校歌と応援歌

立教大学応援歌ー「若き眉」!

東京六大学野球を応援しよう!の野球侍です。



東京六大学、立教大学の第三応援歌、「若き眉」の紹介です。


この応援歌の作詞者、作曲者は往年のヒット・メーカー・コンビ

でした。


昭和5年(1930年)に卒業したOBの清水みのる氏の作詞で、作曲は

「星の流れに」でコンビを組んだ利根一郎氏で作られました。


「星の流れに」というのは、清水氏が東京日日新聞(今の毎日新聞)の

投書欄に載った22歳になる引き揚げ女性の飢餓のために夜の女に転落

の経過を読んで怒りに震えながら徹夜で作詞をし、作曲の利根一郎氏

も同じくその怒りを五線譜に叩きつけたといわれています。

歌手は、菊池章子さんでこのブルースをうらみを込めたような歌い方で

ヒットしました。


清水みのるさんは、戦後のヒット曲、田端義男の「かえり船」「別れ船」

などの歌謡曲で知られていますが、童謡の「森の水車」も作詞しています。




では、明るさいっぱいの「若き眉」を歌いましょう。


   「若き眉」


       清水みのる 作詞

       利根 一郎 作曲


   「1 若き眉を上げて仰げ!燃ゆる憧れ〜」で始まります。


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立教大学の校歌と応援歌

立教大学応援歌『St. Paul's will Shine Tonight』!

東京六大学野球を応援しよう!の野球侍です。




立教大学の応援歌2は、『St. Paul's will Shine Tonight』です!


立教バスケット部からこの歌は誕生している。

昭和3年(1928年)、アメリカ・カリフォルニア州立フレスノ大学の

野球部が来日し、このチームと立教のバスケット部と試合して立教が

勝った。

野球とバスケット、妙だなと思われるだろうが、このチームはたまたま

バスケットもこなせる万能選手がそろっていたので、試合になったので

ある。



試合後のティーパーティーで、フレスノ大学の選手が自校の応援歌を

フレスノを立教に替えて歌った。



立教バスケット部は、この歌をその記念として部歌にしていたが、やがて

立教大学の応援歌になった。



神宮でこの歌を反対側のスタンドで聞いたことしかないが、ステキな

歌だと思う。



さぁ、歌ってみよう!

St. Paul's will Shine Tonight


 1.St. Paul's will shine tonight, St. Paul's will shine.

   
     メロディは、コチラからどうぞ!

     Real

     コチラ



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立教大学の校歌と応援歌

立教大学第一応援歌「行け立教健児」!

東京六大学野球を応援しよう!の野球侍です。

立教大学第一応援歌「行け立教健児」を紹介します。


この応援歌は、昭和22年に作られていますが、作詞の小藤武門氏は、

当時の団長で4年掛かりで作られた詩ということです。


作曲は、「お笑い三人組」とかCMソングなど軽妙な曲を作られた

作曲家の土橋啓二氏でした。


詩は、聖歌の雰囲気を下敷きにして書かれた戦後応援歌の第一弾で

あり、第一応援歌になっている。


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立教大学の校歌と応援歌

立教大学の校歌は「栄光の立教」!

東京六大学野球を応援しよう!の野球侍です。

立教大学の校歌が出来たのは、大正になってからでした。

立教としての、最初の校歌は、明治40年に作られた「立教学校校歌」で

あった。


立教学院校歌「栄光かがやく我等が立教」は、大正7年に作られ、戦後

改訂して、立教中学校歌として使われている。


立教大学校歌「栄光の立教」は、大正12年に作られた。


「栄光の立教」

 作詞 杉浦貞二郎

 作曲 島崎赤太郎


  「芙蓉の高嶺を雲井に望み・・・」から始まります。

  

  *お聞きになりたい方は、立教大学のHPへどうぞ。

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